むかーし、むかーしのお話①
むかーしのお話。
ゴスペルをやっていた頃のお話。
18歳とか、19歳の時の話。
ゴスペルを始めたのは、17歳の高3のとき。
新聞の募集欄を見て、応募。
受験生だったんだけど、演劇部も引退して、
せっかく3年間で獲得した発声の為の筋肉を衰えさせたくなくて、ゴスペルをやらせてもらうことに。母親は最初は反対。
受験して、偏差値の高い大学に入って欲しいという母の強い願いがあったから。
でも、家は裕福じゃなかったから予備校にも行けるわけがなく。
学校の部活は私にとって『逃げ場所、シェルター』だったので、それに代わる場所を確保したかったのもあった。
(学校生活はクラスメイトから完全無視されていたし、母との関係のストレスで急性胃腸炎で倒れて救急車、なんてこともあったので)
さておき、
関西での空前のゴスペルブームもあって、
且つ、ラニー・ラッカーさんという日本のゴスペルの第一人者に教えてもらっていたので、かなりレベルの高いレッスンをさせていただいていました。彼のおかげで日本のボイストレーニングは10年遅れているとわかりました。
ただ……
ゴスペルというのは、神を讃美する歌なのですね。
神を讃美するのはクリスチャンでないとできないらしいのです。
でも、歌うことはできるよ、と。
ゴスペルを歌うのは、自分のエネルギー的なものが身体の中から入れ替わる感覚がありました。
それが私はとてもとても楽しかった。
ただ、クリスチャンでない私がゴスペルを歌うことを良く思わない人もいたりしました。
(それはそれで正しいと思ってます。)
いろいろと精神的にやられて、
ある日、全く歌えなくなってしまいました。
その時はクワイアの人に事情を話して、半年ほどまったく歌わない日々が続きました。
鼻歌すら、歌えなかった。
みんなの歌う姿をずーっと見学していました。なぜ歌えないのか。そんなことを思いながら。
歌えなくなって半年後、
恐る恐る歌ったときに、
私は涙が溢れて止まりませんでした。
歌えない私を助けてくれたのは、
結局歌でした。
その後、復帰してゴスペルを歌っていましたが、22歳の時に、
「クリスチャンじゃないならもうゴスペルを、ソロパートを歌わないでくれ。」とハッキリ言われて、私はそこでゴスペルを歌うのを辞めました。
クリスチャンのことを否定しているのではありません、小学生の時はカトリックの土曜学校へ行って聖書の勉強もしていましたし。
一定の理解はしています。
(あ、ちなみにゴスペルはプロテスタントです。カトリックの場合は讃美歌ね。)
その後、一切、私はゴスペルを人前で歌っていません。
「歌」「メロディ」として聴いたら良い曲たくさんあるんですよ。
泣けたりするんですよ。
ゴスペルが私を救ってくれたのは間違いないんです。
歌で救われた経験をしたからこそ、
今、私が創る歌、歌詞は、
「救い」が裏テーマに必ずあります。
それはゴスペルから学んだものです。
Love all isって曲は、
特にそれが色濃く出てるなと思います(笑)
いつかライブでゴスペルを歌う日が来るといいけれど、その時は間違いなく「音楽として」歌うことになるのでしょう。
で、この流れから演技論へ入っていきます。
次の記事を待て!(笑)
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